武漢への飛行機にて

5月頃から取り組んでいた武漢のショッピングモールのプロジェクトもとうとう大詰め。最後までクライアントとの調整がうまくいかず、見切り発車的に作品設置となるが、どうなることやら。。

国慶節直前となり、武漢以外にもあまりにも多くのことが動き過ぎていて、何か取りこぼしていることがありそうで、不安でたまらない。

このところ仕事が溜ってても、夜起きて作業をする、ということが出来なくなってきた。歳のせいか、追い込みが足りないのか。子供が仕事を邪魔してくる、というのもあるのかもしれない。

ただ、どんなに忙しくても効率の悪い事はある程度諦めて、明日に備えて思い切って寝る、というのは精神衛生上良い気がしている。

来週から1週間程帰省になるので、秋の北海道を満喫するためにも、ラストスパートをかけなければ。

終日撮影

快晴で気持ちの良い一日。4時半に起きてひと通りデスクワークを済ませてから、上海大学へ「日本屌丝」の撮影へむかった。

既に撮影は大詰めなのだが、今日始めて丸一日付き添った。朝早くから今日は結局撮影終了が23時半と、休憩を挟んでいるとはいえ、12時間以上もまあ皆よくテンション保ちながら続けていると思う。

撮影している映像自体は、山下君らしさが十分に出ててとても良い感じだ。「結構泣けますよ」と彼が言っていたが、今日一日撮影に付き合って見て、あながち冗談ではないなと感じた。

完成が待ち遠しいが、その前にプロモーションの戦略をしっかり練らなければならず、どちらかと言うとこれからが私の仕事なので、協力いただいている皆さんの期待を裏切らないよう、うまく着地させたい。

 

5月の連休明け

いつの間にか5月に入り、連休もあけてしまった。

日課のように続けて行きたいと思っていたブログのペースがなかなか掴めずにいる。書評など、少し気合いをいれて書いてFBでシェアしたりすると、次のブログがなかなか書けない。あまり意識していなかったが、見栄が邪魔をするのだろう。

人に読まれると思うから良くないと思うので、FBでのシェアもやめて、ひたすら自分のための書き溜め場所にしていこうかと思っている。

 

5月だというのに上海にしてはすこし肌寒い日が続いているが、今日は昨日の雨からの快晴で気持ちがよい。

短い春を満喫しよう。

『日本屌丝』撮影開始

山下智博 脚本・監督・主演の微电影『日本屌丝』の撮影がとうとう始まった。

雨の中、早朝から日中+アメリカ人のスタッフ・キャストが十数名集まり、会場提供いただいているカフェ「FROM 2039」にて、朝礼からメイク、リハ、本番と、なかなかスムーズに進んでいる。

完成までの道のりはまだまだ長いが、山下智博の地道な(?)活動から共感を集め、沢山の協力者を巻き込みここまで来れたことに、早くも感動を覚えてしまった。

今後どのような展開が待っているのか全然予想ができないが、このメンバーで一つになれれば、面白い事態が待っているのではないかと期待している。

これから5月上旬にかけて集中して撮影が行われるが、かなりタイトなスケジュールで進むので、天気に恵まれる事を祈る。

 

広州へ

昨日は作業を溜め込んでしまっていたため、久しぶりに徹夜をしてしまった。

朝一からの南京出張で1日中会議、そしてそのまま広州に来ている。華南地区に来るのはしばらくぶり。流石に蒸し暑く、先日のシンガポールを思い出した。

明朝からは、ハンセン病回復村でのワークキャンプに参加する。ワークキャンプを通したボランティア活動を10年間続けているJIAといNPOにお世話になるのだが、活動内容を未だに把握出来ておらず。。

自分が何をできるのか全くわからない環境に身を置くことは、このところほとんど無いので、久しぶりに独特の緊張感を感じている。

せっかくの機会なので、出来る限りの事を吸収して来たい。

 

キュレーション 「現代アート」をつくったキュレーターたち

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著「キュレーション  「現代アート」をつくったキュレーターたち」を読了。

いまやバズワードかのごとく、あちこちで使われるようになった「キュレーション」という言葉。その「キュレーション」という概念そのものがまだ確立されていなかった頃から活躍してきた11人のキュレーター(その多くは既に他界している)へのインタビュー集。

それぞれのキュレーターのキャリアや、当時のアート界、美術館などの機関との関係性などについてがほとんどで、決して読みやすい本ではなかったし、知らない人物や展覧会の名前も沢山あり自分の勉強不足を感じたが、インタビューの端々に垣間みれたアート論、キュレーション論は興味深かった。


特に印象に残ったのは、元バーゼル美術館の館長フランツ・マイヤーの章で、彼がアーノルド・ルドリンガーとアートについて議論し、

「何が重要か?」
「何が後に残るのか?」
「今日においてアートとは何か?」

を問い続けていたという部分。


デザインとアートの違いを表すのに「デザインは”ソリューション”、アートは”クエスチョン”」という言葉がある。

昨日紹介した「まちづくり デットライン」でも、今後のまちづくりでは機能だけでなく「空間」の価値が大切だとあり、まさしくその通りだと思うし、確かに洗練されたデザインの空間は増えている。

ただデザインのトレンドのせいか、どこに行っても同じように小ぎれいで似たようなデザインの空間ばかりに出会っている気もしている。そういう空間には、その「場」であるための必然性というのがなかなか伝わってこない。


このところ中国の商業施設の仕事に関わることが多く、美術館やギャラリーといったホワイトキューブ外で、いかにアートを機能させるかというのを考える機会が増えている。

これは友人とも議論をしているところなのだが、恐らくこれから必要とされ、かつ有効なのは「アート」そのものではなく、「アート的なアプローチ」ではないかという仮設を立てている。

ここでいう「アート的」というのは、

同時代性があること
歴史・文脈の流れを汲むこと
個のアイデンティティーを主張すること
そして上記を踏まえた上で、既存の様式をはみ出す、壊す、もしくは塗り替えること。

しかしこれはあくまで手法であって、もっと本質的な部分で言うと「問うこと」であり、そして「問い続けること」ではないだろうか。

そう、大切なのは「それは、問うているのか?」ということだ。

 

そんなことを考えながらこの本を読んでいる最中に、キュレーターのヤン・フートが亡くなったというニュースが届いた。

調べる限り中国ではあまり知られてはいなかったようだが、日本の美術界へ与えた影響は相当大きなものがあったのだろう。

実は、ちょうどいま取り組んでいるあるプロジェクトのコンセプトを、ヤン・フートの過去のプロジェクトから引用できないかと考えていたところだった。

気難しいクライアント達との兼ね合いがあり実現のハードルは高いが、陽の目を見ることがあれば彼へのオマージュとして捧げたいと思う。

まちづくり デッドライン

こちらも知人の著書ということで、発売後すぐに買っていたのに読めずにあった一冊、「まちづくり デッドライン」。

何よりもまず、タイトルが秀逸。

都市デザインシステムの梶原さんが、「CLASKA」のネーミングを広瀬さんが持ってきた時に相当唸った、という話を思い出した。

 

共同著者の木下氏と面識は無いが、木下氏の有料メルマガ「エリア・イノベーション・レビュー」は随分前から購読させて頂いており、毎週まちづくりに関して勉強させてもらっている。というか、正直なところ内容が濃すぎて消化しきれていない。。

その点本書は、全体的なデザインや随所に挿入されているイラストもポップにすっきりしていて、ついつい固い話になりがちなトピックをカジュアルに読ませるところはさすが。

 

日本でまちづくりの最先端で活躍されているお二人だけあって、具体的な事例やアクションが紹介されていて、まちづくりに関わる人は是非読んでほしい。

地元の帯広市で、後藤健市さんらが手がけた「北の屋台」も取り上げられていた。

あとがきにもあったが、まちづくり特徴は、その場所から移動できないこと。まちに対する強い想いが不可欠だ。

主に日本の「まち」を対象にしているが、投資先行で持続性が考えられてない開発がガンガン進んでいるいまの中国こそ、学ぶべきところがあると思う。

芸術回帰論ーイメージは世界をつなぐ

もう二年も前から読みかけのまま手元あった、港千尋さんの芸術回帰論を再読。

港さんは、岡部昌生さんが代表アーティストだった2007年ヴェネチアビエンナーレ日本館のコミッショナーで、2007年は私も早々にヴェネチアを訪れていたが、面識も無かったためベネチアでお会いする事も無かった。

その後港さん、岡部さんのお二人とは、私がコーディネートさせて頂いた2011年にレバノンのベイルートアートセンターで開催された“Image in the Aftermath"や、杭州で私が共同キュレーションした"Micro Garden"などでご一緒させて頂いた。

2007年ヴェネチアでの展示「わたしたちの過去に、未来はあるのか」は、当時「なぜいまこのテーマなのか?」と、どちらかというと批判的な思いをもっていたが(それが何故なのか思い出せず、、おそらく原爆についていまさら言及する必要性や、下手に米との外交的な意味で刺激する理由が理解できなかったからかと思う)、ヴェネチア以降の岡部さんの作品と活動の変遷や、東日本大震災が起きたことにより原子力や放射能という問題が再度浮かび上がってきてしまったことから、今考えると納得せざる負えないテーマと内容だったなと思う。

 

本書を再び手に取ったのは、あとがきに書かれた震災にまつわる一つのエピソードを思い出したからだ。

 津波で倒壊した家屋からなんと九日後に救出された十六歳の高校生を、入院先の石巻赤十字病院に、助け出した県警の巡査部長がお見舞いに訪れた。家屋は完全に潰れていたが、残されたわずかな空間で生き延びた彼は、救出の際、おばあちゃんを助けてほしいと、祖母を気遣ったという。救出後、将来の希望を巡査部長がたずねると、彼は「芸術家になりたいです」と語ったと、その記事は伝えていた。

 この言葉は、震災後の一年間、わたしの脳裏を離れることはなかった。彼がどのような意味で「芸術家になりたい」と言ったのかは問題ではない。奇跡的に生還した若者が、未来について聞かれた質問に「芸術家」と答えたという、そのことの意味を、わたしは考え続けた。破壊しつくされた世界のなかで、もし芸術という言葉が発せられたなら、それはなによりも「創造する手」としての芸術、人間の原点としてのアートであろう。本書はその意味で、この言葉に対するわたしなりのレスポンスである。

 

震災から3年が経過し、つい最近も上海でいくつかの復興支援関連の企画に携わり、改めてその高校生が発した言葉の意味を考える機会があった。

このお話、私も参加させて頂いた2012年札幌でのトークの際、港さんご本人から聞いたのだが、アートを生業としている人間だけでなくとも、考えさせられるエピソードである。

本書は言及されているトピックが多岐にわたるので、一見内容がバラバラに感じるのだが、軸としては、細分化されすぎた世界を統合するための手段として、いまこそ芸術が必要なのではないか、というところだ。

 創ることは、なによりもまず、分断された世界を手によってつなぎ直すことである。細分化された部分の再生産だけでは、新しいものは生まれない。創ることは、いまや断片化の極限にある労働の市場から人間を救い出し、世界を取り戻すことなのだ。芸術は、おそらくそのために発明された最良の方法である。危機にある個と共同体を救出し、来るべきヴィジョンを獲得するための最古にして最新の法、それが芸術である。

その高校生が何をもって「芸術家」と言ったか定かではないが、その「芸術」が港さんが言うように、断絶された世界を繋ぐものであってほしいと思う反面、いまの芸術(少なくとも私が携わっている領域)が、確実にその方向に向かっているかと言われると、心許なくもある。この高校生のエピソードは、折りをみて多くのアーティストや関係者に伝えていきたいと思う。

 

その他興味深かったのが、モノクロームに関する考察。普段我々は世界を白黒で見ている訳ではないが、人はそこに美しさを感じる。それは無意識の領域にヒントがあるのでは、ということ。

 モノクロームの表現がなぜわたしたちの感情を揺さぶるのかは、永遠の謎かもしれない。おそらくそれは知覚されてはいるが、意識できない領域で働きかけているのだろう。写真における色のほとんどは、意識にのぼらない領域でわたしたちに影響を及ぼしているように思うのである。色の未来を考えるひとつの鍵は、この無意識の領域にあると考えてよい。

色の歴史は社会史として扱うことができ、色彩を作り出しそれに価値をつけるのは個人ではなく社会である、という。

なるほど、となるとこの無意識という領域もテクノロジーの進歩で大きく変わるだろうし、仮想現実や拡張現実といった技術が発達するにつれ、人々は世界に実在する「色」を超えた社会で生きていくことになる。

例えば私の息子が大人になった時に見えている世界の色彩は、私が見てきたものとは大きく違っているのだろう。

 

339掃除2

週が明けて本日も339の掃除。

ネックはやはり本だ。どうしても捨てれないモノだけを選んでも相当なボリュームがあり、既存の本棚には確実に収まらない。どうしたものか。。段ボールにまとめて倉庫へ運ぶのが一番現実的なのだが、突然確認が必要になる事があるのでなんとかいまのスペースに納めたいところ。

4人掛かりで作業し、やっとなんとか終わりが見えてきた気がする。
明日はここで関係者のポートレイトの撮影があるのだが、そのスペースだけでも確保しておかないと。

グローバルエッジ

今日は北海道・地元の大先輩の後藤健市さんが上海に来ていて、ランチを一緒させていただいた。

後藤さんは2年ほど前に10名程の十勝の農業関係者といっしょに上海に来られて、中国のリサーチを兼ねて十勝の食材で上海の方々をもてなす「十勝ナイト」を開催、その際にお手伝いさせて頂いたのが縁で何度かご一緒させて頂いている。

初めてお会いした時に、次の時代を見据え、多くの人を巻き込んで活動されている姿を拝見し、「十勝にもこんな人が居たのか」と、嬉しく思ったのを覚えている。

その後、香港やシンガポールと積極的にネットワークを広げられていて、3年ほど前からアジアを回り始め、ようやく色々なことが繋がり始めたと仰っていた。今回も中国の地方都市の開発に関して打ち合せで来られたとの事。

 

彼は最近グローバルエッジという言葉を作ったという。

地域(場所)の本質的な魅力が何であるのか。
その価値を知るためには必要なのがグローバルな視野。
地域にあるグローバルバリューの宝

地域のグローバルバリューを見出すためのキーワードとして、
グローバルエッジという言葉

価値を的確に表す、非常に良いフレーズだと思う。

 

私自身も年に1回程度、幼なじみと一緒に地元でイベントを開催していて、今年もなにかやろうという話になっているので、この「グローバルエッジ」というキーワードで組み立ててみようかと思っている。

339掃除

今日はもともと、事務所とギャラリーの片付けのために一日予定を空けていて、午前中から気合いを入れて臨んだが、溢れかえっているモノのあまりの多さに途方に暮れてしまった。

まずは年末に開催して展示をそのままにしていた、長沢郁美の作品を撤収し梱包。手慣れたもので、これは思ったよりも早く作業は終った。

問題はそれ以外。作品や本、備品、何かを作ろうとして取り寄せたサンプルの素材、レストランから運んできたワインや機材などなど。よくもまあこんなにもモノが集まったものだ。

要らないものを捨てても捨てても一向に終わりが見えない。

目標の1/10も片付けを終える事が出来ず、結局次回へ持ち越しへ。

来週土曜日からは新しい展示が始まるのに、それまでに目処がつくか正直不安である。

南京出張

本日は南京出張。昨年より関わっている商業施設のプロジェクトのため、このところ南京に行くことが多い。

出張は普段得られない気づきがあるので、定期的に上海を離れる機会があるのは有難いのだが、中国の地方都市はどこもあまり特徴が無く、どこに行っても同じような風景が広がっており、街の個性が感じられないのが残念なところ。

まあ、南京くらいだと日帰りで気軽に行けるのは嬉しい。

 

出張が良いのは、移動できるからだ。歩くこと。物理的に身体を移動させること。その行為そのものに価値が生まれる。

誰かが「アイデアは移動距離に比例する」と言っていたけど、これは本当だと思う。

自分の場合、何も用事が無いとつい自宅でダラダラしてしまうので、もっと日々の生活でも、移動距離を増やさないといけないと感じている。

 

今日は遅れて妻と息子も南京に来ていて、途中から息子を抱きながら街を移動したため、思いのほか疲れてしまった。

おかげで帰りの新幹線で爆睡してしまい、シートのポケットに読みかけの本を置いてきてしまうという失態を犯す。。学ぶ事が多い本だったので、残念で仕方が無い。

駅に問い合わせたら帰ってくるのだろうか?